2012年3月24日執筆
逆浸透膜は、孔径1nmを下回る非常に小さな孔を持った半透膜です。圧力をかけて海水をこの特殊な半透膜に通すと、塩分やホウ素などが濾過されて淡水が得られるという、ざくっと言うとそういう仕組みです。この逆浸透膜の市場では、Dow Chemicalが首位をひた走っています。日東電工や東レ、東洋紡といった日本企業も健闘中です。
(井上さんにも大変お世話になりました。)
今でこそ話題に上ることの多い海水淡水化ですが、その源流は意外と古く、1950年頃のアメリカまでさかのぼります。当時のカリフォルニアでは、人口増による水不足が既に深刻な問題となっていました。そのため、カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くUCLA(University of California, Los Angeles)では、海水淡水化研究に高い優先順位が置かれていました。彼らの研究は、1949年に始まっています。アメリカ政府もまた将来の水不足を懸念し、1952年に塩水法を制定して研究を始めています。
アメリカに端を発した海水淡水化研究に対し、東レが逆浸透膜の開発を正式に始めたのは1968年です。これでも十分に昔のことになります。
東レが開発を始めてしばらくすると、アメリカで有力研究者が頭角を現しました。John Cadotteです。ミズーリ州カンザスにあるMidwest Research Institute(今ではMRIGlobalとその名を変えています)で研究をしていたCadotteは、高い脱塩率と造水量を両立する逆浸透膜を1972年に開発しました。1978年には同僚とともにFilmTecを設立し、自ら開発した逆浸透膜を自分の手で事業化しています。彼は、通称「344特許」と呼ばれる重要特許も握っていました。
Cadotteの業績は、数多くの大学研究者と企業研究者を刺激しました。東レの研究者達も良い刺激を受けたそうです。FilmTecは、その後1985年にDow Chemicalによって買収され、同社に加勢することとなります。学界と企業とを様々に渡り歩いたCadotteは、逆浸透膜の世界で直接的・間接的に大きな影響力を持ったのです。では、アメリカに端を発した海水淡水化の研究成果や科学知は、より具体的に、学界のなかでどのように広まり、どのようにして企業へ流れ込んで技術知へと転換されたのでしょうか。そして、その技術知は、次なる科学知の創出にどのように影響したのでしょうか。Cadotteの活動と業績を軸にして、こうした問いを分析したいと思っています。
日本では、学界から産業界への知識移転が今後の重要な政策的課題としてしばしば取り上げられます。TLO(Technology Licensing Organization)という言葉を耳にしたことがある方も多いと思います。ただ、その知識移転メカニズムは、ことミクロレベルでの骨太の因果律となるとあまりよくわかっていないのが実情です。そこはきちんと解明しておきたいところです。「何がどうなるのか」という太い因果律が見えないまま闇雲に政策を進めても、税金の無駄打ちになりかねないからです。
要するに何が言いたいのかというと、逆浸透膜開発における学界と産業界との相互作用過程を明らかにすることは、事例こそ古いものの、産学間知識移転のブラックボックスを解き明かすうえで大切な今日的テーマではないでしょうか、ということです。
(藤原雅俊)