2012年2月25日土曜日

ターボブレード(大分)訪問(1)(青島矢一)

2012年2月23日


大分県にあるターボブレードという企業で林社長にインタビューしました。同僚の延岡さんと、九州大学の木村さんと一緒です。大分では温泉発電が盛り上がっており、今年3月から別府で温泉発電が始まるとのこと。その発電設備を全て開発設計した企業がターボブレードです。

林社長は、非常に博識で、いろんなことを教えてもらいました。タービンに関することなら何でも知っているという感じです。丁寧に話をしてくれました。


以下は林社長の話をまとめたものです。

林社長

そもそもターボブレードという企業は、林社長の父親の会社であった林エンジニアリングから独立した企業です。さらにその歴史は、林社長の祖父が昭和2年に設立した林鉄工所にまでさかのぼります。


明治から大正にかけて、農業促進政策の一環として、動力源としての水力タービンの導入に、国が半分の補助金をだしました。そこで、十数キロワットの小水力が全国にいたるところで一気に広がりました。その数は全国で2万箇所におよんだといいます。小型水力ブームです。


政府の補助金があったので、農家は、水力タービンを導入することによって、脱穀や精米の効率向上などを通じて、実質的に経済的に潤うことができました。発電用にも使われたといいます。儲かるから一気に広がったわけです(ただしその後、ブームは去り、多くの水力タービンは放置されることになりました)。こうした、分散型のエネルギー創出の普及は、なんとなく最近の状況と重なります。


林鉄工所はそうした水力タービンの設計製造会社として成長しました。


水力タービンに第二のブームは第一次石油ショックをきっかけに訪れます。石油を代替するエネルギーを模索する中で、小型の水力発電に注目が集まりました。


そこで、林エンジニアリングは再び水力タービンの設計に注力することになります。林エンジニアリングは、最盛期には70-80名もの設計者を抱え、水力発電向けのタービン設計では業界で知らない人はいないという企業にまで成長します。


小さいものでは300ワット、大きなものでは2000キロワットのタービンまで、あらゆるタービンを設計し、富士電機や東芝などの大手企業に供給してきました。100キロワット以下のタービンは林エンジニアリングがOEM供給していたそうです。






ただし、その後、水力発電所の建設も停滞し、林エンジニアリングも水力タービンだけでは事業が成り立たなくなっていきます。そこで、林エンジニアリングはポンプ設計など事業範囲を広げていきます。その後、林社長は、1999年に、ターボブレード社を設立して独立することになります。


ターボブレード社の様子

林社長と地熱発電との出会いは、20年ほど前、地熱発電研究の権威である九州大学の江原先生からかかってきた一本の電話でした。


「九重の地獄谷の調査でセンサーを置きたいのだが、電気がない。1キロワットくらいの発電設備をつくってくれないか」


現地にいくと間歇泉が出ていました。そこで、その間歇泉から吹き出ている熱水蒸気をつかってタービンを回し、発電する設備を実験的に設計しました。


この地熱発電の話は、ここで終わるのですが、その時に設計した二相流のタービンの経験が、その後の地熱タービン設計に活かされることになります。今年始まる別府の温泉発電に使われるタービンはこの経験を活かした熱水蒸気タービンです。


次に林社長が地熱発電と関係するのは4年前。佐賀大学の海洋エネルギー研究所の池上先生からの声かけで、低温発電向けのバイナリータービンの開発を共同で行うことになりました(佐賀県の補助金)。


これはなかなか難しい開発だと林社長はいいます。バイナリー方式とは、地中からの熱水を熱交換機に通して沸点の低い媒体を蒸発させ、その蒸気で発電をするものです。


佐賀大学との共同開発では、その媒体としてアンモニアを使っているのですが、アンモニアが漏れて、温泉に入ったりしたら大変なことです。アンモニアは高圧(70℃で40気圧)なので少量でいいというメリットがありますが、その分、危険性も高いということです。いかに漏れないように設計できるかが鍵だそうです。(つづく)

 (文責:青島矢一)