2013年6月20日木曜日
福岡県 海水淡水化センター(設立背景と膜納入企業 編)(藤原雅俊)
2013年6月20日執筆
1年ぶりの投稿になりました。前回は、沖縄北谷の海水淡水化センターについて報告(前記事)しましたので、今回は、福岡の海水淡水化センター「まみずピア」について、二次資料が教えてくれる歴史と概要を報告したいと思います。
◆福岡の海水淡水化センター
福岡で海水淡水化施設建設の機運が本格的に高まったのは、1994年の渇水が契機だと見て良いでしょう。福岡地区水道企業団が発刊している『福岡地区水道企業団の概要』(2011)によると、1994年の年間降水量は福岡管区気象台観測史上最低を記録し、わずか1055.0mmにとどまりました。1971〜2008年までの年間平均降水量が2155.5mmですから、例年の半分しか雨が降らなかったということになります。1994年8月4日から1995年5月31日までの300日間で、取水制限日数は実に295日に及びました。事情は異なれど、沖縄と同様に、福岡もまた水の安定供給に不安を抱える地でした。
福岡の渇水状況を打開すべく、1996年6月12日、水資源開発公団(現 独立行政法人水資源機構)は福岡都市圏海水淡水化導入検討委員会を設置しました。その後、1997年10月16日に福岡県で「福岡地域広域的水道整備計画」が改定されて海水淡水化事業が位置づけられ、福岡地区水道企業団が事業主体となることが決まりました。この改定を受け、11月10日、福岡地区水道企業団に福岡都市圏海水淡水化施設検討委員会が組織されました。翌1998年に厚生省(現 厚生労働省)から海水淡水化事業認可を得た後、1999年4月から海水淡水化施設の整備が始まりました。
建設地は、玄界灘に面した福岡市東区大字奈多。かつて金印が見つかった志賀島や、海の中道海浜公園に近い場所で、46,000m2という広大な敷地が確保されました。同施設の工事は2001年から始まり、「海の中道奈多海水淡水化センター」として2005年3月22日に竣工、同年6月1日から供用が開始されました。最大生産水量は1日あたり50,000m3(福岡都市圏25万人分に相当)ですので、沖縄県(40,000m3/日)を抜いて、日本最大の海水淡水化施設ということになります。最大ということもあって、総事業費も約408億円(うち、国庫補助率50%)で沖縄(346億円)を上回っています。
◆海水淡水化で用いる膜と納入企業
福岡の海水淡水化センターでは、海水を3種類の膜に通して真水を作っています。最初に通す膜が0.01μmの孔を持つUF膜で、ここで濁質分や菌類を除去します。その後、より小さな孔を持つ高圧RO膜に通します。この高圧RO膜を通って得られた水は、ホウ素の含有量に応じて低濃度と高濃度のものに分けられ、高濃度の水がさらに低圧RO膜を通り、濾過されていきます。このようして同センターは、投入する海水の60%分の淡水を作っています。
福岡では、UF膜エレメントが3,060本(3本×85ベッセル×12基)用いられ、高圧RO膜エレメントとして中空糸型10インチエレメントが2,000本(2本×200ベッセル×5基)用いられています。低圧RO膜ユニットには、スパイラル型8インチエレメントが1,000本(5本×40ベッセル×5基)導入されています。
では、どの企業がこれらの膜エレメントを納入したのでしょうか。日東電工のプレスリリース(2005年1月6日付)からセンター竣工時の納入状況を判断すると、
UF膜:すべて日東電工製
高圧RO膜:すべて東洋紡製
低圧RO膜:すべて日東電工製
ということになります。
日東電工は、UF膜「RS50-S8」3,060本、低圧RO膜「ES20B」1,200本をセンターに納入し、約10億円を売り上げたとのことです。同社の納入本数は、センターで用いられている本数と一致するか上回っています。予備という意味合いがあったのかもしれません。一方、高圧RO膜は中空糸型だったということですから、これは東洋紡(同社だけが中空糸型に特化した)が一手に引き受けたのだと考えられます。日東電工のプレスリリースにも、高圧RO膜は東洋紡製だと記載されています。
福岡の海水淡水化センターにおける膜の年間交換率は、それぞれ20%、15%、20%(守田、2011)ということですから、ひょっとすると現在はやや変わって来ているのかもしれません。少なくとも、センターの開業当初はこのような状況だったようです。
つづく
(藤原雅俊)